平成22年1月9日 14時37分 愛猫 June 永眠。享年9歳。
突然のあっという間の出来事に、どうしようもなく、声をかけてやることしかできなかった。 今もまだ、そこにいるような気がして、いつも座っていた場所を見るが、 そこに姿はなく、水入れとご飯入れだけが残されている。 気持ちの整理がつかず、ふと思い出すと、涙が溢れ出し、 窮屈な思いをさせたこと、 寂しい思いをさせてしまったことなど、 後悔の気持ちばかりがふくらんでくる。 もっとたくさん遊んでやればよかった、 もっと一緒にいてやればよかった、 もっとのびのびと遊ばせてやればよかった。 どんなに悔いても、 帰ってくることはないことはわかっているのだけれど。 火葬してもらったとき、 喉から肺のあたりにかけて、 病巣があったのではないかと言われた。 元気だったし、食欲もあり、トイレも定期的だったので、 病気だなんて思ってもみなかったが、 いつからか、病に侵されていたのかもしれない。 彼なりのサインを出していたのかもしれないが、 そんなことにも気づいてやれなかった。 一人で部屋にいることがこんなに寂しいと思ったのは初めてかもしれない。 今まであたりまえに、自分以外の生があり、 意識はしなくても、同じ部屋にいるというだけで温かみと安心感があった。 彼が生きていた証が当たり前にそこに残されている。 それを片付けなければならず、 処分しなければいけないものもいくつかある。 それがなによりも辛い。 しばらく辛い日々が続く。 思い出になるまで時間がかかりそうだ。 9年間の思い出を生涯忘れることなく、 大切にしたい。 June、今までたくさんたくさんありがとう。 安らかに眠ってください。 またどこかで逢おうね。
壊れていたGRDⅡが修理から戻ってきた。
レンズ部分をそっくり交換する形になったが、 元気に稼動してくれている。 電気店で受け取り、すぐに電源を入れ、 その足で大阪難波を歩いた。 写真に対しての私の意識って、 どんなんなんやろって思う。 自分でも、 どんな写真が好きで、 どんな色が好きで、 どんなフレームが好きで、 どんなボケかたが好きで・・・ なんてことがまだまだよくわからない。 幼い頃から見てきた書に置き換えて考えると、 なんとなく答えが出る気がした。 今までに数知れない書を、 見て、書いて、脳裏に焼き付けてきたが その時々によって好きな字も作風も変わり続けている。 うまく説明できないけれど、 でも変わり続ける中にも、 絶対に変わらない、好きなポイントがある。 言葉では説明できないけれど。 やはりそれは30年近くたくさんの書を見て、 書き続けてきた経過があるからなのだ。 それを思うと、 写真はまだまだ始めたばかり。 好きも何もまだまだそんな段階ではない。 とにかく、たくさんの写真に出会い、 自分自身がたくさんの写真を撮ること。 それに尽きる。 気楽にのんびりと始めた写真。 書と共に、一生付き合えるものになればいいな。
先週、前回の写真に登場した姪っ子に
妹ができた。 産まれた翌日の朝、 私の携帯に寝顔を写した小さな写メが送られてきた。 名前はまだ決まっていなかった。 この世界に産まれて2日目の写真。 夢と希望に満ちあふれた、温かい表情をしている。 しかしこれから現実を生きていくために、 様々な困難に出合うに違いない。 つらい経験もし、 たくさん涙を流し、 悔しさを噛み締めることもあるだろう。 やはり彼女も、これからの経験を通して、 自分色に美しく輝いてほしい。 私の好きなレミオロメンの歌 「茜空」の一部。 茜空に舞う花びらの中 夢だけを信じて駆け抜けろ 瞳には未来が輝いてる そう春だから 昨日、名前が「茜」に決まったとのメールがきた。 なんだかうれしかった。
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